40年間の人生が凝縮した〈おつな〉ができるまでのサクセスストーリー〜関根仁さんの挑戦〜【後編】

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様々な逆風を乗り越えて挑戦し続けた40年の集大成

たった一人の熱狂から世界が動き出す想いをインタビューする「On the One」。今回お話を伺ったのは、焼津にギフト用のツナを販売する「TUNALABO」を運営する関根仁さん。高校卒業からTUNALABOを設立するまでの生き様と挫折、サクセスストーリーを伺いました。


(「TUNALABO」を運営する関根仁さん)


関根 仁さん
1977年生まれ。福島県出身。株式会社JIN代表。
18歳で上京し、偶然に魚屋で働き始めたことで人生が大きく動き始める。30代では和食屋さんをオープンし、仕事終わりに余った材料を使ってツナの研究に勤しむ日々を送り、40代でそれを商品化。
現在は、静岡県焼津市に拠点を置く「TUNALABO」を立ち上げ、ギフト用ツナの販売を行っている。

※本記事は、後編になります。まだ前編を読んでいない方は、前編から読んでいただくと、より楽しんでいただけると思います。

前編を読む

失敗から学び続けた試行錯誤の日々〜残高10万円からの大逆転劇〜

myicon編集長 ケンフィー問題だったのは、研究を重ねたレシピが保存を考慮していないものだったというわけですね。

”"関根 仁さんはい。保存を考えて、調整し直してみたのですが、最初の方は美味しくないし、蓋も開かないし、オイル漏れするし、全然売れませんでした
でも、周りの人が色々助けてくださって、試行錯誤を繰り返すんですが、それでも中々うまくいかず、しまいには、妻から「もうやめてほしい」と言われましたね

myicon編集長 ケンフィーかなり苦労されたんですね。その苦しかった時期はどれぐらい続いたんですか?

”"関根 仁さん1年ぐらいかな。まず、お客さんに試食してもらって、何が悪いのか、何が足りないのかを全部聞きながら、たくさん勉強して、日々トライアンドエラーして、ようやく今の形に近づいてきました。

myicon編集長 ケンフィーどんなことに気づいて、今の形に近づいたんですか?

”"関根 仁さんたとえば、それまではツナをかたまりで入れていましたが、原料が足りなくなって、フレークにした時にお客さんの反応がかなり良くなりました。これまでの縛りを捨てた途端、うまくいき始めたという感じです。

myicon編集長 ケンフィーかたまりで入れていたのには、こだわりがあったんですか

”"関根 仁さんかたまりで入れたほうが、美味しかったんですよ。ただ、かたまりで入れるとロスが多く、原価も高かったのも事実です。その後、瓶の改良を重ねて、蓋も開けやすくなって、フレークの味のまとまりも出てきて、商品がいい感じになっていた頃、ちょうどテレビ番組に取り上げられて、そこから注文がたくさん入るようになりました。

myicon編集長 ケンフィーそれはすごいですね。当時は、まだ東京にいた頃でしょうか?

”"関根 仁さんはい、まだ東京にいた時の話です。テレビに取り上げられる直前は、融資してもらったお金や貯金していたお金も全部含めて、口座の残高が10万円くらいになっていました。

myicon編集長 ケンフィーこれから返済があるのに、残高が10万円しかなかったのは、めちゃくちゃ大変ですよね。

”"関根 仁さん家賃も、自宅とお店を合わせて30万ぐらいで、固定費としては50万ぐらいかかってたから、本当にギリギリのタイミングでした。テレビがオンエアされた日のオンライン注文が、その日だけで700件超えて、テレビの効果はすごいなと改めて感じました。

ツナ缶発祥の地、焼津から全国へ!

myicon編集長 ケンフィー焼津に拠点を移されたのは、その後ですか?

”"関根 仁さんはい。テレビで放送された時に、当時のお店の近くに焼津の副市長さんが住んでいたんですよ。それで、「焼津のマグロ使ってよ」って言われて、一度焼津に来てみたら、すごくいい場所で、気に入りましたね。
だけど、輸送費を考えたら、東京じゃなくて焼津で生産した方がいいなと思い、焼津に拠点を移しました。

myicon編集長 ケンフィーなるほど。ネット注文がメインだからこそ、東京でも焼津でも変わりないってことですね。

”"関根 仁さんはい。それに焼津だったら、東京以外に大阪や名古屋にも展開できますし。あと海洋深層水という水を使っていたので、焼津ならそれも揃っているし、さらには焼津が国内のツナ缶発祥の地だったんです

myicon編集長 ケンフィーその歴史を使えるのは大きいですね。

”"関根 仁さんはい。東京で作る意味もないし、東京も手狭になったので、東京の店舗をスタッフに任せて、焼津に工場を立てました。今のベースができたのは、コロナ前の2019年6月頃でした。


(「TUNALABO」店内の様子)

myicon編集長 ケンフィー焼津にTUNALABOをオープンしてから、コロナがやってきたんですね。

”"関根 仁さん「おつな」は贈り物がメインだったので、コロナ禍で結婚式などがなくなって、かなり大変でしたね。
でもメディアが、当時はテイクアウトできるものをメインに取り扱っていたので、その流れに乗って、うちの店に取材が殺到しました。

myicon編集長 ケンフィーコロナ禍のテイクアウト需要にも合致したんですね。

”"関根 仁さんはい。あと、その時に、ちょうどふじのくに新商品セレクション金賞を取って、その後、農林水産省官房大臣賞も取りました。

myicon編集長 ケンフィーすごいですね!

人生の縮図が詰まった一瓶

myicon編集長 ケンフィーちなみに元々30代で魚の個人店を営んでいた時に、余っているマグロをツナにしようと研究していたのは、どういったモチベーションだったんですか?

”"関根 仁さん当時は、商品化しようとも思っていなくて、ただ作るのが楽しくて研究していました。40代で商品化に挑戦した時に、これまで簡単に作れると思っていたものが作れなくて、初めてツナ缶の偉大さを知りました。

myicon編集長 ケンフィー保存とかも含めて、商品として販売しようとしたからこそ気づけたということですよね。

”"関根 仁さんはい。すごい技術だなと思いました。ただ「100円で売ってるツナ缶を 1500円で売る」と言えば、「あいつバカだろ」って思うのは普通で、それで離れた人もいましたし、応援し続けてくれた人もいたんですよね。
だからと言って、離れていった人が悪いとは思わないですし、今まで関わってくれた全てが、私にヒントを与えてくれていたんだと思っています。

myicon編集長 ケンフィー「おつな」の瓶の中には、これまでの全てが詰まっているんですね。

”"関根 仁さん親も含めて、今まで自分を応援してくれた人たちや、自分を救ってくれた人たち、もちろん離れていった人たち、お客さん、全て含めて自分の人生の縮図が、「おつな」には詰まっています。


(40年間の人生が詰まった「おつな」)

myicon編集長 ケンフィー20代〜30代でうまくいかずに苦しんでいる人たちにとって、勇気をもらえるサクセスストーリーですね!

”"関根 仁さん20代や30代は遊んでなんぼだと思いますよ。もちろん、その年代から自分の設計を立てている人もいますが、そういう人の方が少ない気がしますね。

myicon編集長 ケンフィー貴重なお話をありがとうございました。

前編を読む

関根さんの今後の挑戦については“焼津まちリポ”で掲載予定

関根さんの今後の挑戦については、焼津まちかどリポーターの方で「ニュー焼津構想で焼津を世界ブランドにする関根 仁さんの挑戦」と題した記事を掲載する予定です。
お楽しみに!

(取材協力: 関根 仁 氏(Instagram)/取材・編集:ケンフィー(Instagram))