「生きてりゃなんとかなる」ーー絵描きの下積み時代からラジオ番組制作へ

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40歳からマルチクリエイターとして活動する原慎介さんの挑戦と挫折の軌跡

たった一人の熱狂から世界が動き出す想いをインタビューする「On the One」。今回お話を伺ったのは、似顔絵しんすけとして絵描き活動を行っていたところ、「やいづテレビ」のパーソナリティーを経て、現在はコミュニティラジオの番組制作を担当している原慎介さん。これまでの挑戦と挫折を伺い、挑戦する若い世代へのメッセージをいただきました。


(原慎介さん)


原慎介さん
1979年生まれ。静岡県出身。
私立短期大学の美術科に進学し、卒業後は絵描きで生計を立てることを目指すが、東京のデザインフェスタで芸術で生きていくことの厳しさを痛感。その後、約15年間福祉の仕事に従事するが、40歳頃に絵描きで生計を立てるという目標に再チャレンジする。その中で自分のキャラクターを売り出すために、「やいづテレビ」で1年間パーソナリティを務めたことで「RADIO LUSH」と縁があり、番組制作部の一員として入社。
現在は、地域発信型メディアの番組制作をしながら、ライフワークとして似顔絵やバンドの活動を行っている。

個人事業からの挫折とラジオ局での新たな挑戦

myicon編集長 ケンフィー今の仕事内容を教えてもらってもいいですか。

”"原慎介さん今の仕事は「RADIO LUSH(レディオ・ラッシュ)」というラジオ局の番組制作部の一員として働いています。

myicon編集長 ケンフィーラジオ局の番組制作部ではどんなことをされるのでしょうか。

”"原慎介さん収録番組をいくつか担当させていただいております。

myicon編集長 ケンフィー「RADIO LUSH」は基本生放送が多い印象ですが、収録番組もあるんですね。

”"原慎介さんそうなんですよ。具体的な事例でいうと、月に1回、静岡県外からはるばるお越しいただいて、1ヶ月分の番組を収録し、それを編集して流しています。自分も編集を担当しています。

myicon編集長 ケンフィーなるほど。映像編集とかの経験は、今の仕事に就くまでにありましたか?

”"原慎介さん一応、自分のYouTubeチャンネルがありますので、スマートフォンでの映像編集は経験ありましたが、ちゃんとしたソフトウェアで、パソコンで編集するのは、今の仕事に就いて初めてでしたね。

myicon編集長 ケンフィーちなみに「RADIO LUSH」は8月に開局されましたが、いつからこちらでお仕事をされたんですか?

”"原慎介さんちょうど4月1日から入社させていただいて、3ヶ月の試用期間の後に、正式に採用されました。

myicon編集長 ケンフィーなるほど。そこで働くまでは何をされていたんですか?

”"原慎介さんそれまでは、45歳までに「自分の絵で食っていきたい」という想いがあって、個人事業をやっておりました。ですが最近、心臓の不整脈も患って、思うようにいかなかったので、「自分の絵で食っていきたい」という想いを諦めて、雇用されて働こうと思っていたところで、「RADIO LUSH」の今の仕事に巡り会えた感じですね。

myicon編集長 ケンフィーちなみに今年でおいくつですか。

”"原慎介さん今年でちょうど45になりました。(取材日:2024年12月)

myicon編集長 ケンフィー今年までに「絵描きで食っていく」という夢を叶えるつもりだったけど、持病を患ってしまって挫折してしまった一方で、ご縁があって、今の仕事に就いているわけですね。

”"原慎介さんそうですね。個人事業で絵描きをやっているだけでは、食べていけないところもあり、自分のキャラクターを売り出したいという想いで、「やいづテレビ」というインターネット番組に1年間パーソナリティーをやらせていただいていました。

myicon編集長 ケンフィー毎週水曜日に30分の生放送をやられていましたね。

”"原慎介さんそのご縁で、ちょうど「やいづテレビ」が終了するというタイミングで、ラジオ局が開局することになり、「RADIO LUSH」に紹介してもらって今に至っています。

myicon編集長 ケンフィー「やいづテレビ」と「RADIO LUSH」は、例えば映像で生配信しているところだったり、本拠地にしている場所が同じだったりと、共通点も多いかと思いますが、関係ってあったりするんですか?

”"原慎介さんそうですね。両者は全くの別団体ですが、「やいづテレビ」を参考にした部分もあると思います。(正確には把握していませんが)

RADIO LUSH公式サイト

やいづテレビでのパーソナリティとしての活動

myicon編集長 ケンフィー「やいづテレビ」でパーソナリティーをやる中で、パーソナリティーをやることと絵描きで食べていくことはどのような繋がりがあるんですか?

”"原慎介さんそうですね。自分の力不足もあると思いますが、似顔絵の依頼がリピートされにくく、さらに定期的な依頼があるわけではなかったんですよね。それで、自分ならではのオリジナル商品を作る必要があると考えるようになりました。

myicon編集長 ケンフィーなるほど。それで自分のキャラクターを売り出す必要があったんですね。

”"原慎介さんはい。元々知り合いだった、お笑いヨガの「つかちゃん」が、「やいづテレビ」でパーソナリティーをやっていまして、そのゲストに何回か出演させてもらううちに、プロデューサーとマネージャーからも番組を持たないかとお誘いいただき、これはいいチャンスかなと思って始めました

myicon編集長 ケンフィーゲスト出演からパーソナリティーになったんですね!それにしても、1年って結構長いことやってましたね。

”"原慎介さんそうですね。本当に1年間続けられたのは良かったなと思います。毎週1組のゲストをアテンドするんですが、今思えばよくやったなと思いますね。

myicon編集長 ケンフィー僕もお世話になりました。ちなみに、1年間続けられたモチベーションみたいなものは何だったのでしょうか?

”"原慎介さんはい、こちらこそありがとうございました。自分を知ってもらうために始めたので、自分のキャラも作っていきたいという思いで続けてきたのだと思います。

myicon編集長 ケンフィーなるほど。先ほどおっしゃった「45歳までに似顔絵で生計立てる」という目標は昔から抱いていたんですか?

”"原慎介さん40歳の頃までは、福祉の仕事をしていたんですが、「このまま続けていいのか」という葛藤が芽生えたのと、ちゃんと絵描きで挑戦したことがなかったので、やってみようと思い、挑戦してみました。

20代後半で一度諦めた夢

myicon編集長 ケンフィー社会人になってから福祉の仕事に就いて、40歳ぐらいの時に、絵描きで生計を立てるという目標を立てて挑戦されたんですね。いつから絵を描くのが好きだったんですか?

”"原慎介さんはい。幼少期から漫画を描いてました

myicon編集長 ケンフィーということは、学生時代は絵を描いてきたということですか?

”"原慎介さん小学生、中学生ぐらいまでは絵を描いてました。高校では美術部に入って、本格的に絵を描き始めると、美大というのがあることを知って、それまでは勉強は嫌いでしたが、初めて勉強に目覚めましたね。

myicon編集長 ケンフィー絵を描くということにどんどんのめり込んでいったわけですね。

”"原慎介さんそうですね。結局、第一志望としていた大学には落ちたんですが、家庭の事情などいろいろあって、近くの私立の短大で美術を学ぶことにしました

myicon編集長 ケンフィーどんな事情があっても、「美術」を学びたいということはブレなかったんですね。

”"原慎介さん両親と話して、家の近くだったら4年間大学に通っていいことになって、4年間、絵を学ばせていただきました

myicon編集長 ケンフィー大学卒業後は、どのような進路を歩まれたんですか?

”"原慎介さん4年生になって就職を考えたときに、進路指導室に行ったら、絵とは全く関係ない求人しかなかったので、すぐに就職することは考えませんでした。当時、静岡駅の地下には絵描きがたくさんいて、そこに行けば食っていけるだろうと思って、路上に飛び出して、バイトをしながら静岡駅の地下で絵を売るというような生活を送っていました。

myicon編集長 ケンフィーそれは卒業してからですか?

”"原慎介さんそうですね。在学中から始めて、卒業してから3〜4年はやったと思います。

myicon編集長 ケンフィーそこから就職で福祉に行ったのはなぜですか?

”"原慎介さんきっかけは東京のデザインフェスタを訪れて、衝撃を受けたことですね。自分が出展した絵がお客に全く見てもらえなかったことにもショックを受けましたが、自分より上手い人でも見てもらえてなかったんですよ。

myicon編集長 ケンフィーなるほど。

”"原慎介さんその衝撃もあって、20代後半の時に芸術で食べていくのは無理だと痛感しました。それから普通に働こうと思って、まずは工場に務めて、その後父親から勧められて、福祉関係の仕事に就くようになりました。

myicon編集長 ケンフィーそれから40歳のタイミングで、当時の夢にもう一回チャレンジしたということですね。

”"原慎介さんはい。「こうやればいけるかも」と色々と考えることがあり、やってみたという感じですね。

myicon編集長 ケンフィー昔から絵が好きで、「これで行く」と決めたけど、東京行って、現実を目の当たりして挫折をし、その後、普通に働いてたけど、諦めきれなくてもう一回挑戦しようとしたけど、自分の体調が原因で続けられなくなって・・・。ものすごくドラマがありますね。

焼津テレビとの縁、そしてラジオ局員、今後の展望へ

”"原慎介さん色々ありましたが、今の業務内容の中でも、ゲストをアテンドするところは、「やいづテレビ」で番組にゲストを呼んでいた経験が繋がっていますし、当時は有志でやっていた活動ですが、今ではそれがお金になっているのは今でも信じられないですね。

myicon編集長 ケンフィー確かにそうですね。今までパーソナリティで、ゲストも呼ぶところから、当日までの取材、当日の収録まで全部1人でやっていましたもんね。

”"原慎介さん今は、番組の中にゲストコーナーがあって、これまで自分がアテンドしたことのある人や、これまでアテンドしてきた経験から、ゲストを呼んでいるので、「やいづテレビ」での経験が活きていますね。

myicon編集長 ケンフィーこれまでの人生が全て繋がっているんですね!

”"原慎介さんほんとそうですね。最初は個人事業の2年間が無駄になるのではと思っていたけれど、今の仕事に就いてから、(これまでの人生の経験を)ちゃんと生かして繋げて、自分が本当にやりたい形になってきたのかなと思えるようになってきました。

myicon編集長 ケンフィー元々やりたいことがあって、それに向かって突き進んだけど、結局諦めざるを得ない人ってたくさんいると思うんですよね。

”"原慎介さんそうですね。

myicon編集長 ケンフィーでも原さんは、それを経験した上で、それらを活かして次のフェーズに進もうとしていて、こういうエピソードって、20代に夢を持っていたけど挫折した人にとっては、勇気づけられると思うんですよね。そういった人たちに向けて、何かメッセージはありますか?

”"原慎介さんそうですね。もう、ほんとに失敗を絵に描いたような人生だったので、とにかく生きてりゃなんとかなると思います。自分も心が折れたり、へこんだりして、挫折や精神的に病んでしまうこともありましたが、とにかく笑い飛ばして、何とかなるだろうと思ってやってきたので、今なんとか、こういう形になりました。なので、ダメな手本として思ってもらえたらありがたいなと思います。

myicon編集長 ケンフィー原さんらしい、素敵なメッセージですね。

”"原慎介さん躍起になって自分が目指そうとするものが、それが叶わなかったとしても、意外と違う可能性もあったりするので、思いもしないものに乗っかってみるのも、大切かなと思います。

myicon編集長 ケンフィー原さんの今までの人生を踏まえると説得力がある一言ですね。今後は絵の活動はどのようにやっていく予定ですか?

”"原慎介さんそれこそ、番組に携わっていると、パーソナリティーの方に伝えるために「フリップ」が必要なんですね。そのフリップに、書かせてもらえるならパーソナリティーの似顔絵を描いてみてみたいなと思っています。


(配信の様子)

myicon編集長 ケンフィーいいですね。

”"原慎介さんあと、メディア業界には自分よりも優秀な人がたくさんいるので、即興似顔絵を描けるという自分の武器を認めてもらって、現場のスタッフの一員としてずっと 重宝していただけたらなと思ってます。

myicon編集長 ケンフィーお仕事以外では、絵を描いたりしないんですか?

”"原慎介さん地元のマルシェに参加することが増えてきたので、休日はそこでのんびり似顔絵を描いています。生活費を稼がないといけなかった個人事業主の時と違って、息抜きとしてやれる範囲で活動しています。

myicon編集長 ケンフィーライフワークとして、似顔絵作成をやっている感じなんですね。

”"原慎介さんあとは、最近バンドメンバーにも入れてもらっているので、そっちの方も頑張っていきたいなと思っています。

myicon編集長 ケンフィー40歳からの原さんは、マルチクリエイターとして人生みたいな副題が付けられそうですね!取材は以上になります。貴重なお話、ありがとうございました。

(取材協力: 原慎介 氏/取材・編集:ケンフィー(Instagram, Twitter))