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島田スカイランタン祭りを通じて感じたこと
行動し活躍する人をインタビューし、「先を進む姿を指針に、夢を叶える一歩を踏み出そう!」と、たった一人の熱狂から世界が動き出す「On the One 」。今回の取材でお話を伺ったのは、2020年10月11日に静岡県島田市で奇跡を起こした森田 秀平さん。2020年10月11日に行われた、島田スカイランタン祭りを主催した森田 秀平さんに開催までの心境や大変だったこと、嬉しかったことなどを伺いました。
(左:島田スカイランタン祭り2020実行委員長 森田 秀平さん)
森田 秀平
1995年静岡県島田市出身。大学進学で静岡県を離れるも、現在は静岡県にUターン就職し、同じく島田市出身の兵庫 勇樹さんが主催するスカイランタン祭りにスタッフとして参加する。兵庫さんから島田スカイランタン祭りの主催を任され、2020年10月11日大井川緑地公園で100基分のスカイランタンを打ち上げるのに成功する。絵本の出版やファイナンシャルプランナーなど多岐にわたる活動を展開している。
島田スカイランタン祭りを主催したきっかけ
編集長 ケンフィー島田スカイランタン祭りお疲れ様でした!あの後すごく反響があったみたいですね。
森田 秀平さんテレビがあったので、すごい反響はありましたね。やっぱりイベントに来た友人とかがすごく喜んでくれたというのが嬉しかったです。
編集長 ケンフィーまず、島田でスカイランタン祭りを主催しようと思ったきっかけを教えてください。
森田 秀平さん2年前に島田でスカイランタン祭りを開催した主催者の方とお酒を飲んでいたときに、「やってみたら?」と言われて、酔った勢いもあって「じゃあやりますか!」っていう感じで、主催することになりました。
編集長 ケンフィー主催者の方とはどういう知り合いですか?
森田 秀平さん磐田でキングコング西野さんの講演会があったときに、その方と僕の共通の友人がいて、そこで「2人とも島田ですよ」って言われて知り合いになりました。
編集長 ケンフィーなるほど。実際に動き始めたのはいつ頃ですか?
森田 秀平さん年度初めぐらいから準備はしていました。そして7月には河川敷の場所は押さえてました。ただ実際にランタンの打ち上げ権を販売したのは、今年の駿府城公園でのスカイランタンフェスが終わってから2週間後でしたね。
編集長 ケンフィー結構早めに準備されていたんですね
森田 秀平さんでもランタンの販売を始めたのは、8月15日ぐらいにパスマーケットやFacebookでイベントページを立ち上げてからです。だから本当に予定とかめちゃめちゃですよ。普通、イベントの日が雨だった場合の予備日って翌週にするじゃないですか。それを連続で取っていたんですから。
編集長 ケンフィーある意味それで奇跡になりますよね。
森田 秀平さん翌週に開催していたら取材はなかったんですよ。
編集長 ケンフィーちなみに、その取材っていうのはいつぐらいから始まったんですか?
森田 秀平さんたまたま路上で声を掛けた人がSBSの社員さんで、そこからその人が島田支部の人に連絡してくれましたね。そして島田支部の人から「取材をしたい」と連絡があって、取材を受けました。
編集長 ケンフィードラマチックですね!
森田 秀平さんそうなんですよ。最初、その人が支局長に「(島田スカイランタン祭りを)取り上げたいです」と言ったらしいですが却下されたらしいんですよね。でもその方は「いや、どうしてもこれは絶対いいものになるからやらせてください」と推してくれて取材が決まりました。そういう話を聞いて、嬉しくなりましたね。
編集長 ケンフィー自分の周りだけじゃなくて、テレビ局の社員も動かしたんですね。
森田 秀平さん動いてくれましたね。
路上でのランタン打ち上げ権の販売
編集長 ケンフィー今回、路上でランタンを販売されたそうですが、路上に立った経緯は何でしょうか?
森田 秀平さん僕には影響力も拡散力もないので、パスマーケットで販売しても誰も買ってくれないんですよ。なので人に直接言って、来てもらった方が早いなと思い、「じゃあ路上で人に伝えよう」と路上に出ることにしました。
編集長 ケンフィー初めて路上に立った時の印象とかって覚えてますか?
森田 秀平さんまず、どうやって声を掛けようかと悩みました。どうやって声をかけていいか分からなかったので宗教の勧誘の人に声かけました(笑)。そしたら「気にしちゃだめだよ」とアドバイスもらえて、とりあえず人に声を掛けてみようと思いましたね。
編集長 ケンフィー最初の方は「2年前の感動をもう一度」というキャッチフレーズでしたが、ある日から「夢のためにやりたい」に変わったと思うんですけど、それはどういった経緯があったのでしょうか?
森田 秀平さん最初は2年前の感動をもう一度再現したいと思って企画を勧めていたんですが、路上に立ったりしているうちに、このイベントがこれからもずっと島田市で続いて、みんなで空を見上げるという1つの文化を根付かせたいと思い、キャッチフレーズを変えました。
編集長 ケンフィーすごく素敵な話ですね!
森田 秀平さんそして、みんなが前向きに生きていける、そんな町にしていきたいなっていう想いが芽生え始めましたね。「僕はこれを島田市でやりたいんです」というのを人にしっかり自信を持って言えるようになった瞬間から、このイベントを来年や再来年に繋ぐためにやるんだと、自分の中で変わりましたね。
編集長 ケンフィーちなみに路上で1番嬉しかったことってなんですか?
森田 秀平さんテレビでも取り上げられた、北九州の社長さんが「静岡でたくさん稼がせてもらってお世話になったから」と言って、その場で残りのランタンを購入してくれたエピソードや、島田駅で声を掛けたときに「買います」って言ってくれた人が、当日来てランタンを買ってくれたことが嬉しかったですね。
編集長 ケンフィーそれは嬉しいですね!
森田 秀平さん何千人と僕のことを素通りする中で、僕の話を聞いてくれて、共感してくれて、「買います」って言ってくれた人の顔を僕が忘れるわけないじゃないですか。他のお客さんとは違った繋がりがそこにはあって、それはすごい僕の中で感動しましたね。
編集長 ケンフィーそういう経験とか、いろんな出来事を踏まえて無事に100人ぐらいのランタンあげられた光景を見てどう感じましたか?
森田 秀平さん意外と叶うんだって思いましたね。最初は想像もしてなかったんですよ。「あ、意外とみんなでやれば叶うんだな」って実体験として感じました。
編集長 ケンフィー路上での努力が報われたんですね
森田 秀平さん1人だけだと厳しかったですが、今回目に見えない力が働いた気がするんですよね。他のイベントが台風接近で中止の中、スカイランタン祭りだけが延期という報道も、プラスに働いたと思いますし。
編集長 ケンフィー台風が逸れて快晴になって本当なよかったですね。
森田 秀平さん実は企画の打ち合わせの時にも根拠なく「絶対晴れる気するんですよね」ってずっと言ってたんですよね。そして本当に晴れたので、やっぱり願えば叶っちゃうって言いますか、根拠のない自信めっちゃ大事ですね。根拠のない自信が運も引き寄せたんだと思います。
島田スカイランタン祭りとえんとつ町のプペル
編集長 ケンフィー今回、えんとつ町のプペルのピアノバージョンが流れて、えんとつ町のプペルの絵本の最後の1ページと重なり、えんとつ町のプペルを知っている人ならより楽しめたと思いますね。
森田 秀平さんえんとつ町のプペルの歌の中に『夢を持てば笑われて声を上げれば叩かれる』という歌詞がありますが、路上に出て「夢のためにやってます」とか言ってやっていると、「夢も希望もないよ」と言うサラリーマンや「彼、夢売ってますよ」「君、夢売ってるの?100万円あげようか?」みたいに嘲笑う人などもたくさんいて、あの歌詞って本当だったんだと気付きました。
編集長 ケンフィー自分が路上の経験っていうか体験と重なったんですね!ちなみに、これを来年とかに繋いでいこうというのは、ぼんやりとあるんですか?
森田 秀平さん来年やるときには、僕以外に主催者が現れて欲しいなと思ってます。新しい人が主催して、その人の周りの人の中から「俺もやってみたいな」「頑張ろう」っていう気持ちや行動が広がってほしいですね。だから、そういう気持ちや行動は応援していきたいです。
編集長 ケンフィー島田を盛り上げるためにも、島田スカイランタン祭りを繋いでいきたいっていうことですね。
森田 秀平さんそうですね。
編集長 ケンフィー素敵な話をありがとうございました!
(取材協力:島田スカイランタン祭り2020実行委員長 森田 秀平 氏(@sentian.xiuping)/取材・編集:ケンフィー(@kenfee_official))