この記事は約6分で読めます。
”賑やかだった島田の街並み” と ”守りたい着物の価値”
行動し活躍する人をインタビューし、「先を進む姿を指針に、夢を叶える一歩を踏み出そう!」と、たった一人の熱狂から世界が動き出す「On the One 」。今回の取材でお話を伺ったのは、2023年2月にクラウドファンディングを立ち上げ、新店舗の改装費の調達に励んでいる小澤 京子さん。後編では、しまだきものさんぽの活動を通じて成し遂げたい目標を伺い、”賑やかだった島田の街並み”や”守りたい着物の価値”を取材しました。
小澤 京子1956年生まれ。静岡県島田市出身。一般社団法人「しまだきものさんぽ」代表。
2011年までは事務員として会社に勤め、会社を退職したことで人生が好転。その後、着物好きな趣味を活かし立ち上げた同好会「しまだきものさんぽ」は、レンタル着物着付けのお店を開店し、2022年に一般社団法人化を果たす。現在は一般社団法人「しまだきものさんぽ」として、着物を通じて島田市をかつての賑やかな街を取り戻すべく、様々な活動を行っている。
昔の島田の賑やかさを取り戻したい
編集長 ケンフィー これから今のところから新しいところに引っ越して、快適に着付けできるところを作ろうとしていると思いますが、その後はどうしていきたいですか?
小澤 京子さんそうですね。もう最終的には、島田の町の活性化なんですよ。
私が9歳の時に、京都から転校して島田に来たんですが、当時は島田にも映画館が5〜6軒あったし、すごく賑やかなデパートも2〜3つあったし、 本当に栄えてたんです。
編集長 ケンフィーそうだったんですね!
小澤 京子さんそれをもう一度、取り戻すためには何かなと思った時に、島田には着物を着て参加するお祭りが多いですし、呉服屋さんも多いんですね。それだけ着物がとっても似合う町で、木造橋でギネス世界記録を誇る蓬莱橋もあるので、着物でもう一度、昔の島田の活気や賑やかさを取り戻したいと思いました。それが最終目標です。
編集長 ケンフィー素敵な目標ですね。
小澤 京子さんでも、そんな簡単にはいかないことは分かってますが、まずは、この川原町で、いろんな着物イベントを起こして、島田を元気な街にしたいです。
着物は命あるもの
編集長 ケンフィーさっき、ちらっと聞いたんですが、9歳の時に京都から引っ越して来られたんですね。
小澤 京子さん両親は元々島田でお仕事してたんですが、仕事の関係で京都に行った時に、私が4人目の子供として生まれました。京都でまれた子供だから京子。
編集長 ケンフィー名前の由来ってそこだったんですね!
小澤 京子さんはい。それで、9歳の時に島田に戻ってくる形で両親と戻ってきて、そこからずっと島田に住んでいます。
編集長 ケンフィー京都との繋がりもあって、今も着物で繋がってるのはすごいですよね。
小澤 京子さん京都にいた頃から本当に着物が好きで、着物を着てましたね。だから、なんかそれもご縁だと思うんですよ。
編集長 ケンフィーそうだったんですね!
小澤 京子さんそうなんですよ。だから、本当に、こういうお仕事が回ってきたことが不思議でしょうがないです。
編集長 ケンフィーその仕事がもう天職なんですね。
小澤 京子さん着物って、触っているだけでも気持ちよかったりするし、それこそ私はよく言うんですが、着物って命あるものだと思ってます。
編集長 ケンフィーといいますと?
小澤 京子さんカイコが育って、紡ぐ人がいて、機織りで生地になって、そこで裁断する人や縫い子さんがいて、染めて刺繍してっていう、いろんな方の愛情で作られたものが、最後、 親御さんの愛情を持って、娘さんに引き継いでいく。
編集長 ケンフィーなるほど。少しずつ愛を受け取りながら、引き継いでいくのは、「命あるもの」と表現できますね。
小澤 京子さん本当に着物は、何代も受け継がれても着れるものなんですよね。だから、愛情があるものだと思います。しかし、その一方で今、簡単に捨てられてしまうのは悲しいですね。
編集長 ケンフィー和服を着る人が少なくなっていますもんね。
小澤 京子さんだからこそ着物が簡単に捨てられてしまうのをストップさせたい。まずは、お店に届いた着物を1枚でも多く助けてあげたいなと思います。それが原点です。
編集長 ケンフィー簡単に捨てられてしまう着物を1枚でも多く助けることが原点で、最終的には着物で島田の町を賑やかな街にしたいーー素敵な活動と夢が聞けて良かったです。
引き続き、頑張ってください。
小澤 京子さんこちらこそ、ありがとうございます。
(取材協力:小澤 京子さん(Instagram)/取材・編集:ケンフィー(Twitter))