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お客さんと一緒に笑って、一緒に泣いて、一緒に感動し続けていたい
行動し活躍する人をインタビューし、「先を進む姿を指針に、夢を叶える一歩を踏み出そう!」と、たった一人の熱狂から世界が動き出す「On the One 」。今回お話を伺ったのは、14歳から好きだった演劇の世界で、一度は挫折したものの、地元静岡で再出発を遂げた水沢 詩生さん。演劇への想いからUnitF結成の経緯まで伺いました。
水沢 詩生さん
静岡県静岡市出身。演劇ユニット「unit.F」のリーダー。14歳の時に静岡市こどもミュージカルに出演し、演劇の虜になる。一時は芸能事務所に所属し、鈴を鳴らしたような特徴的な声を活かして俳優、声優として活動するが、自分が本当に好きな演劇のスタイルを見つけるために退所。「unit.F」以外の劇団の公演、イベントにも積極的に参加し、演技力に磨きをかけている。近年では脚本の執筆も始め、精力的に「感動を伝える演劇」の創作に取り組んでいる。
14歳の頃から好きだった演劇の世界
編集長 ケンフィー2月26日は、劇リンピックお疲れ様でした。
僕自身、UnitF(水沢さんが活動されている演劇ユニット)が一番良かったです。
水沢 詩生さんありがとうございます。めちゃくちゃ嬉しいです。
編集長 ケンフィーこの演劇活動されてたのは、いつぐらいからですか?
水沢 詩生さん14歳の時に、静岡のこどもミュージカルに応募したところ、合格したのがきっかけですね。
合格してから1年間レッスンをして、本番の舞台を迎えたっていうのが、 自分の人生の初舞台でした。
編集長 ケンフィーそんなに前からなんですね。
水沢 詩生さんそこで、のめり込んじゃって。
そこからは、普通に劇団に所属をしたり、 事務所に所属をしたりとかして、続けてきました。
編集長 ケンフィー演劇に、のめり込んでからは、女優が「自分の将来の夢」的な感じだったんですか?
水沢 詩生さんはい、そうです。
もう、いわゆる女優っていう職業に就きたくて、目指してた時期もありましたね。
編集長 ケンフィーなるほど。そこまで演劇にのめり込んだ、演劇の魅力は、どういったものだったんですか?
水沢 詩生さん自分は根っこに寂しがり屋があるんですが、その自分が感動した時に、一緒にお客さんが感動しているということが、こんなに気持ちいいのかと実感したんですよ。
編集長 ケンフィーお客さんと一心同体になれる瞬間というわけですね。
水沢 詩生さんそれで、お客さんと一緒に笑って、一緒に泣いて、一緒に感動するっていうのを味わっちゃうと、お芝居の楽しさにも気づき始めて、それをずっとやっていきたいっていう思いが、子供の頃からありましたね。
編集長 ケンフィーなるほど。そうだったんですね。そこから劇団に入ったりとか、事務所に所属したのは、高校や大学の頃ですか?
水沢 詩生さんそうですね。
高校生までは地元の劇団に所属をしていて、大学進学の際に東京に行った時に、またオーディションを受けて、事務所に所属をしました。
大学で東京に行ってからは、明治大学文学部演劇学専攻だったこともあり、演劇漬けの毎日でした。
編集長 ケンフィー大学の授業から、課外活動まで全て演劇一色だったわけですね。
水沢 詩生さんただ、大学の授業なので、能や歌舞伎などの伝統芸能についての授業とか、映画論や映画の歴史とかを学びましたね。
その時受けた授業で、今すごく役に立ってるのは、「脚本を書く」授業です。
(劇リンピック2023での余命宣告を受けたYouTuberを題材にした演劇)
挫折からのリスタート
編集長 ケンフィー大学を卒業して就職した後は、どうなりましたか?
水沢 詩生さん実は、大学の4年間、事務所に所属していて、すごくいろんな経験をさせてもらいましたが、所属してみて初めて、自分が思っていた華やかな世界と違う面も見えてきたんですよ。
それで将来の進路にすごく悩むことが増えて、同時に東京の生活にも疲れていたというのもあり、 静岡に帰ろうかどうかすごく迷っていました。
編集長 ケンフィーそんなことがあったんですね。
水沢 詩生さん当時は、親や友達からも心配されていました。
さらには、オーディションを受けても全然いい結果が出ず、演劇活動もうまくいっていない上に、就職活動もうまくいっていなくて、すごく落ち込んでいたんですよ。
その時に、親が「帰っておいで」と言ってくれて、静岡に帰ることにしました。
編集長 ケンフィーそれは大変ですね。それからは、どんな感じで活動されたんですか?
水沢 詩生さん静岡に戻ってきて、静岡で就職をしてからは、最初の2年くらい、お芝居から離れてました。
お芝居は、もういいかなっていう感じで、蓋を閉ざしていましたね。
編集長 ケンフィーそこから、演劇を再びやるようになったのは、どんなきっかけがあったんですか?
水沢 詩生さんきっかけは、高校生の時にお世話になってた劇団の先生が、また声をかけてくださって、「静岡に戻ってきたんだったら、元気になったら、いつでも戻っておいで」と言ってくださりました。
編集長 ケンフィー素敵な再開ですね。
水沢 詩生さん最初は、裏方のお手伝いとかから始めたんですが、役者のみんなが頑張って、お客さんが感動して帰っていくのを見て、「私、演劇好きだ」って改めて気づきました。
感動を伝えて、観た人に元気になってもらいたい
編集長 ケンフィー演劇に対する気持ちを再認識できたんですね。
ちなみに静岡でやり始めて、何年ぐらいになりますか?
水沢 詩生さん演劇ユニット「UnitF」を立ち上げて、まだ3年ですが、演劇活動自体は10年くらいですね。
編集長 ケンフィーそういえば、先日の劇リンピックで、初めて脚本もご自身で書かれたんですよね。
どういった経緯で、脚本を書こうとなったんですか?
水沢 詩生さん今までは、他の誰かが書いた脚本を使っていましたが、今回いい脚本が見当たらなくて。
編集長 ケンフィーそれで自分で書いてしまおうというわけですか?
水沢 詩生さん一応、UnitFのコンセプトとして「感動を伝えて、観た人に元気になってもらいたい」というのがあるんですが、そのコンセプトに合った短編の脚本が、いくら読み漁っても見当たらなくて。
たまたまメンバーから「水沢さんはどういうのをやりたいの?」と聞かれて、いろいろと話していたら、「それをそのまま脚本にしましょう」と言われて、自分で書きました。
編集長 ケンフィーそれで今回の、余命宣告を受けたYouTuberというキャラクターが出来上がったわけですね。
水沢 詩生さんスカイダイビングとか舞台上でやったらおもしろそうみたいな話をしていて、本当会話の中から脚本が生まれました。
編集長 ケンフィーそうなんですね。ちなみに、UnitFは、どういう経緯で結成されたんですか。
水沢 詩生さんお世話になった先生に演出を相談した時に、とある方を紹介していただいたんですが、その方は残念ながら、土日休みじゃない仕事に就いているので、演劇から離れていました。
ただ、その方はめちゃくちゃ演劇が好きで、面白い方なんですよ。
編集長 ケンフィー確かに、演劇って土日のイメージがありますね。
水沢 詩生さんその方から、「演劇に携われるなら是非やります」って連絡いただいて、結成しました。
編集長 ケンフィーなるほど、そんな経緯があったんですね。今後、演劇を通じて目標はありますか?
水沢 詩生さんまずは、観に来てくださったお客様が感動して帰ること、これが1番大事なところですね。
編集長 ケンフィーなるほど。水沢さんの原点ですね。
水沢 詩生さんあとは、社会人になってから、演劇をやりたい方や、演劇に興味ある方が、なかなか仕事や家事があって、できない事情があると思うんですよね。
自分が好きな演劇を嫌いになったとき、すごく辛かったっていう経験があるので、人生好きなことをやって、自分らしくいられるような支援もしていきたいなと思っています。
編集長 ケンフィー素敵なビジョンですね。
水沢 詩生さんやっぱり、嫌なことがあっても、好きなことがちょっとあると頑張れるじゃないですか。なので、そういう人たちを応援するような団体にしていけたらいいなという夢もあります。
編集長 ケンフィー好きなことを続ける環境って大事ですよね。
今日は素敵なお話をありがとうございました。