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サッカー人生の基盤を築いた藤枝に恩返ししたい
たった一人の熱狂から世界が動き出す想いをインタビューする「On the One」。今回お話を伺ったのは、藤枝順心高等学校でサッカーをしてから、県外や海外などで活躍し、地元に戻ってきて藤枝市の地域おこし協力隊として活動されている杉山 祐香さん。地域おこし協力隊に至るまでのサッカー人生から、今後のビジョンを伺いました。
杉山 祐香さん
1988年生まれ。静岡県静岡市出身。現在は藤枝市地域おこし協力隊として、サッカーを通じた街づくりに携わる。藤枝順心高等学校で3年間、サッカーをした後、専門学校に進学。県外やドイツでサッカーのチームに所属し、なでしこリーグ選手として活躍したあと、競技サッカーを引退。その後、高校3年間がなければ今の自分はないという想いから、藤枝市で生涯スポーツとしてのサッカーの普及を目指している。
サッカー漬けの人生
編集長 ケンフィー今は何をされていますか?
杉山 祐香さん今は藤枝市役所にあるサッカーのまち推進課っていう課で、地域おこし協力隊として働いてます。
編集長 ケンフィーそれは、いつからですか。
杉山 祐香さんちょうど1年前の2022年の5月1日から任期が始まりました。
編集長 ケンフィー地域おこし協力隊に応募しようと思ったきっかけはなんですか?
杉山 祐香さんきっかけは、私が競技サッカーを引退し、何か新しい仕事に就きたいなって思っていたタイミングで、チームメイトが、その役所関係の仕事についてたので、 その子から紹介いただきました。
編集長 ケンフィーなるほど。それまでは、競技サッカーはずっと続けてきたってことですか?
杉山 祐香さんそうですね。小学校1年生から、もうずっとサッカー中心な生活を送ってきました。高校卒業してからもサッカーするために、県外の専門学校に行きながら県外のサッカーチームでプレーしたり、国外に出て海外のサッカーチームでプレーしてきました。
編集長 ケンフィーそれは働きながら、サッカーをされていたという感じですか?
杉山 祐香さんはい。サッカーでお金をもらうっていうことはなかったですね。チームから紹介してもらった仕事で生活して、平日の夜や週末を全部サッカーにつぎ込んでいましたね。
編集長 ケンフィー主にどういった業種の仕事をされてきましたか?
杉山 祐香さん仕事自体は、工場勤務もありましたし、事務の仕事やトラックの運転手もやりましたね。
編集長 ケンフィーなるほど、生活のためのお金を稼ぐために、いろんな仕事をやっていたんですね。
杉山 祐香さんそうです。仕事を選ぶ基準は、「サッカーに支障が出ないかどうか」という基準で選んでいたので、残業もなく、土日は休めるところが基本でした。
編集長 ケンフィー県外でプレーされていたのは、例えばどこでされていたんですか?
杉山 祐香さん高校卒業して静岡県を出て、まず長野県で専門学校に通いながらサッカーをしました。専門学校卒業後、静岡に戻ってきて、仕事をしながらサッカーを続けて、お金を貯めていました。
その貯めたお金でドイツに行って、2年間日本料理店で働きながらサッカーをしましたね。
帰国後は、兵庫、愛知でサッカーして、静岡に戻ってきました。静岡に戻ってきてからは、4年ぐらいまた競技サッカーをして引退しましたね。
(なでしこリーグで活動する杉山 祐香さん)
サッカーをしなかった空白の1年間
編集長 ケンフィー今までドイツなどでサッカーしてきた中で、1番思い出深いエピソードとかってありますか?
杉山 祐香さんドイツのサッカーで思い出深いエピソードは、帰国の1ヶ月前に怪我をして帰ってきたので、そのエピソードですかね。
編集長 ケンフィーそれはプレー中に怪我をしたんですか?
杉山 祐香さんそうです。しかも、その日は、筋力とかフィジカルテストみたいな練習の日でした。せめて、試合とかの方が良かったなと思ってます。
編集長 ケンフィーそこから、すぐ帰国したという感じですか?
杉山 祐香さんそうです。本当は、そのリーグが終わるまでドイツにいて、ベルリンまで旅行に行ってから日本に帰ってきて、まだサッカーを続けるっていうイメージだったんですけどね。
それが怪我しちゃって、何もできないし、動けないし、早く手術しないと治りも遅くなるため、すぐ帰国しました。ドイツにいる段階から親にも病院の予約を取ってもらってから帰国しましたね。リーグが1ヶ月ぐらいで終わる時だったんで、だいぶ悔しかったですね。
編集長 ケンフィー帰国してからは手術とかして、選手生命は無事だったんですか?
杉山 祐香さんなんとかなりました。帰ってきて診察して、もう1回MRIをとって手術をしましたね
編集長 ケンフィーMRIということは脳系とかですか?
杉山 祐香さん膝の前十字靭帯です。
編集長 ケンフィー膝なんですね!
杉山 祐香さんそうです。前十字靭帯の手術って、復帰まで半年から1年かかるんです。ただ半年で復帰できる人は、Jリーガーの選手だったり、全てをそこに注げて、ちゃんとトレーナーがいて、食事管理する人もいて、しっかり完成された状態でリハビリとかして、やっと半年で復帰可能ですね。
編集長 ケンフィーなかなかの怪我ですね。
杉山 祐香さん私自身はらもちろんチームにも所属してなくて、 トレーナーがいるわけでもなかったんで、通っていたジムのトレーナーさんに相談しながらリハビリを進めてました。それでも10ヶ月ぐらいで、普通に試合はしてましたね。
編集長 ケンフィー最長1年かかることを考えれば早かった方ですか?
杉山 祐香さんそうです。ただ頭と体が一致するまでに時間はかかりましたね。
編集長 ケンフィーリハビリを挟むと感覚が鈍ってしまいますもんね。
杉山 祐香さんそうです。頭ではこのボール届くと思って、足を伸ばすけど、体がまだ拒否して伸びてこないとか、そういうズレがありますね。
編集長 ケンフィーその期間が、人生サッカーしなかった唯一の1年間ってことですね。
杉山 祐香さんそうです。本当にその時が、こんなにサッカーしないのは初めてでした。こんなにボール触らない、走れないとかもなかったので。
藤枝に恩返ししたい
編集長 ケンフィーそこから復帰後、競技サッカーを辞めて、今の仕事をしようと思ったきっかけはなんだったんですか?
杉山 祐香さん元々藤枝市で高校3年間サッカーをしていて、またサッカーするなら、藤枝で最後やりたいなって思いがありました。県外やドイツでサッカーを続けてきた理由は、それは日本でまたプレイするときに成長した自分でプレイしたいからでしたね。それで最後4年間、藤枝のチームでプレーしたんですけど、それは選手としての藤枝市への恩返しでした。
編集長 ケンフィー恩返しですか?
杉山 祐香さん結局25〜26年サッカーをやってたんですけど、 私のサッカー人生の中で、すごく高校の3年間が大きかったんですよ。
高校3年間で、サッカーの楽しさとか、奥深さとか 考える力とか、乗り越える力とかを学びましたね。それで乗り越えた先の喜びみたいな、もういろんな感情を育ててもらったのが、高校3年間でした。
編集長 ケンフィーそれがないと、今もサッカー続けてないってことですか?
杉山 祐香さん多分いろんな困難を乗り越えれずにやめたかもしれないし、試合にも出れなかったかもしれないです。そういう意味では、ほんとに3年間が貴重な経験でした。
編集長 ケンフィー競技の方でも藤枝市に恩返ししたかったし、 競技外のところでも恩返ししたいという感じで、今の活動につながっているんですね!
杉山 祐香さん今の仕事についたのは、選手から離れた後、生涯スポーツとしてもサッカーを楽しめる環境があったらいいなっていうのもあるし、サッカーで街を盛り上げたいっていう藤枝市の思いに少しでも力になりたいっていう思いと、私の思いが合致しました。
編集長 ケンフィーこれからは競技以外でも関わっていくってことですね。
杉山 祐香さんはい。競技者として関わるっていうのは、長い時間できるものでもないですし、 最終的には、みんなどこかで引退をして、セカンドキャリアに移るんですよね。ただ、そうなった時も、やっぱりサッカーはやりたいと思う人は多いと思うので、その環境を私が作れたらなっていうところはあります。
編集長 ケンフィー素敵なお話ありがとうございました。