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株式会社noniiに込められた想い
たった一人の熱狂から世界が動き出す想いをインタビューする「On the One」。今回お話を伺ったのは、大学時代のヒッチハイクで出会いの価値に気付き、現在はおいも屋さん〈cocot〉を開業している、いもたろうこと片寄 裕介さん。後編では、会社化して事業を拡大し、おいもフェスなどの新たな挑戦に迫りました。
(いもたろうこと、片寄 裕介さん)
片寄 裕介(いもたろう)さん
1995年生まれ。さつまいも大国の茨城県出身。
「あったらいいのに〜!」をカタチにする株式会社nonii代表。
18歳の頃にヒッチハイクの旅で、さまざまな出会いの中で全国をまわったことをきっかけに、人生観が大きく変わり、20歳の頃には「世界ドリームプロジェクト」を立ち上げ、東南アジアを放浪しながら夢尋ねの旅を実施。その後作業療法士になり、回復期リハビリテーション病院にて3年間勤務。
地域のひとが世代幅広く自然に集える、おいも屋さんココットを起業。現在は株式会社noniiとして法人化し、事業拡大をしている。静岡最大の焼き芋イベント『おいもフェス SHIZUOKA』主催。
※本記事は、後編になります。まだ前編を読んでいない方は、前編から読んでいただくと、より楽しんでいただけると思います。
地域のひとが世代幅広く集える空間をつくりたい
編集長 ケンフィー具体的には、どこまで考えられていたんですか?
片寄 裕介(いもたろう)さん その時に思い描いたのは、地域のひとが自然と集うカフェを作ることでした。高齢者から子供まで、あらゆる世代が集まり、交流が生まれる場所にしたいと考えていました。
社会人1年目のときにこんな夢を抱くようになり、そこから具体的にも構想を練るようになりました。
編集長 ケンフィーちなみに、そのアイデアが本格的に動き始めたのはいつ頃でしょうか?
片寄 裕介(いもたろう)さん(社会人)1年目の頃から7年後の30歳になった時を目標に、融資について調べたり、色々なお店に足を運んでアイディアを貯めていました。ただ、社会人3年目のときにコロナ禍となり、休業を余儀なくされる店舗を見て、一時はこの計画を断念しました。それから1ヶ月も経たないうちに、東京でキッチンカーを見て、「キッチンカー」という新たなアイデアが湧きました。
編集長 ケンフィーキッチンカーなら固定費も少なく済みますもんね。
片寄 裕介(いもたろう)さんそうです。比較的少ない投資で始められ、自分で売りたい場所に移動できるため、作業療法士としての仕事と両立しながら週末に運営することができると考えました。キッチンカーは、まさに移動する店舗ですが、実店舗と近いことができると感じ、キッチンカーで夢を少しずつ叶えていきたいと思いました。
編集長 ケンフィーその時、キッチンカー以外のことは、何か考えていましたか?
片寄 裕介(いもたろう)さんやりたい!キッチンカーにしよう!と思い立った2週間後くらいには購入していて、まだその当初は、具体的な商品はまったく考えていませんでした。
編集長 ケンフィーそこから準備を進められたというわけですね。
片寄 裕介(いもたろう)さん2020年の2月ごろにキッチンカーを購入してから、仕事と並行して準備を進めていました。ロゴやホームページを自作で進めつつ、形からはいるだけ入って、肝心の何屋さんになるかを考え続けていました・・。自分がやりたい商売の形としては、一過性の流行に乗るのではなく、長く地域に根付き、愛される形で商売をしたいと考えました。
編集長 ケンフィーそれでお芋を選んだ理由はなんですか?
片寄 裕介(いもたろう)さんすごく単純な理由になってしまうのですが、おいもが好きだったからです。もし売れ残ってしまっても自分が食べたいと思うものにしようと思い、それが自分にとっては焼き芋でした。
編集長 ケンフィー片寄さんにとっての焼き芋とは、どんな存在ですか?
片寄 裕介(いもたろう)さん茨城出身で、小さなときからおばあちゃんちに行くとダンボールでどっさり干し芋をもらったり、大学時代は実家の茨城から埼玉の大学まで毎日往復4時間以上かけて通っていたので、6限目が終わった頃に帰りの駅の近くにあるマルエツに行くと、石焼き芋コーナーに半額シールが貼ってあるんです。手に取ったときから温かくてほくほくの焼き芋ーー。このしあわせがコンビニのおにぎりと同じくらいの値段で味わえる。「今日もおつかれさま」という気持ちと空いたお腹を満たしてくれる大切な存在でした。
編集長 ケンフィー幸せの象徴のような大切な存在なんですね。
片寄 裕介(いもたろう)さん今でも大学時代のいろいろな想い出と一緒にマルエツの焼き芋の味が浮かんできます笑
それともうひとつ、自分自身が好きだったことももちろんですが、老若男女を問わず昔からずっと愛されている食だなと思ったことも大きな決め手でした。世代幅広く愛されることは、地域のひとが自然と集まる空間には外せない部分だったので、それを「おいも」は叶えてくれる力があると思いました。
個人事業主から法人化へ〜徐々に増えていく仲間〜
編集長 ケンフィー勢いで会社を辞めたんですか?
片寄 裕介(いもたろう)さんそうなんです。まだ事業が軌道に乗っていない状態でしたが、自分の中で色々と構想が出てきて、それを実現するにはもっと時間もエネルギーもコミットが必要だと感じました。
編集長 ケンフィー独立すると時間は確保できますもんね。
片寄 裕介(いもたろう)さんはい。開業した2ヶ月後には、部長に辞める話をして、4ヶ月後にサラリーマンを卒業し、本業が焼き芋屋さんとなりました。
編集長 ケンフィー最初は1人でやられていたんですか?
片寄 裕介(いもたろう)さんはい。1年間キッチンカーを運営してみて、とても大きなやりがいはありましたが、ひとりでの収益の限界や運営の大変さ、ずっとこれから10年、20年先もこのままと思うと、身体への負担も正直感じました。
編集長 ケンフィー特に大変だったのはどういったことですか?
片寄 裕介(いもたろう)さんお芋ってたくさん面倒をみてあげないといけなくて、朝から晩まで10分おきに芋をひっくり返したり、1日中、常に焼き焼きをしながら生活をする日々が続きました笑
POPのデザインから、パソコンでの事務仕事などもすべて自分でこなしながら、新しいアイディアが生まれたらやらずにはいられずに、結局時間が足りないと思うことばかりでした。
編集長 ケンフィー全てが10分以内・・すごい生活ですね。今は会社として複数人で運営されている感じでしょうか。
片寄 裕介(いもたろう)さんお店に立つ時間は好きで、お客さんとの交流も楽しいので、やりがいを感じていますが、常に新しいことをしていたい性分で・・。 新しいことをするには、現場だけやっていても拡がりを生まないので、同じ方向を向く仲間と一緒に作り上げていく楽しさや、その中での苦労も含めて経験したいと思うようになりました。
「独立して『ひとり』でやる」から、結局は「『組織』を作る」ことの必要性を感じるようになりました。
編集長 ケンフィーその流れで法人化されたんですね。ちなみに法人名が「ココット」ではないのには理由があるのでしょうか?
片寄 裕介(いもたろう)さんはい、あります。まずキッチンカー以外の形でも、自分に共感してくれる仲間と一緒に仕事をしたいと考えるようになりました。僕自身、お芋に夢中で、お芋が好きなことですが、これだけにとらわれずに、長い目で、常に新しいことに挑戦していきたいと思い、法人名は開業当時のおいも屋さん「ココット」ではなく”nonii”としました。
編集長 ケンフィー ”nonii”(ノニー)には、どんな意味が込められているのでしょうか?
片寄 裕介(いもたろう)さん「”nonii”(ノニー)」は「あったらいいのに〜!」のノニーです(笑)
「new = いままでになかった、「onward = さらに先へ・前進」「nexus = つながり・ご縁を大切に」「ii = いいもの・価値のあるものを」を表しています。フィンランド語でnoniiは「さぁ行こう!」「やった〜!」という意味もあるそうです!
編集長 ケンフィーなるほど。屋号にそこまで意味を込めていたんですね。ちなみに現在のメンバーはどうやって集まったんですか?
片寄 裕介(いもたろう)さん求人サイト、お知り合いからの紹介を通じて集まりました。いまは10名のスタッフに支えられて成り立っています。
おいもフェス SHIZUOKAという新たな挑戦と“お芋”へのこだわり
編集長 ケンフィーおいもフェスというイベントも企画されているとのことですが、そちらはどんなイベントでしょうか?
片寄 裕介(いもたろう)さん静岡のビッグイベントです!笑(そう根付いていけるように頑張りたいです)
「おいもフェス」ははじめ、特に大きなイベントにしようとは特別考えていませんでした。最初は、お芋屋さんが何軒か集まり、一緒にイベントをやったら面白そうだなというところから始まりました。イベントのホームページを深夜によなよな作ったり、ポスターデザインをしたりしていて、だんだんワクワクが大きくなり、事前の告知での反応も手応えがあり、徐々に大きな形でつくっていける感覚をもてるようになりました。
編集長 ケンフィーおいもフェスのこだわりポイントはどこですか?
片寄 裕介(いもたろう)さんおいもフェスでは、おいもの「食」だけでなく、お子さん連れで楽しめるスペースや遊べるスペースも設けました。車椅子の方や家族連れも来てくれて、本当に嬉しかったです。
来場者の姿を見て、地域の人々が集まる素敵な場所をつくる夢が、この瞬間叶えられた感覚でした。ぜひ静岡の恒例のイベントとして定着させたいと考えています。
編集長 ケンフィーいいですね!最後に、片寄さんのお芋へのこだわりを聞かせてもらえますでしょうか?
片寄 裕介(いもたろう)さん「焼き芋」は素材そのままを楽しむものなので、ごまかしは効かないです。素材選びのスタートから、貯蔵の品質管理、焼き方と全て外せない重要なポイントです。
編集長 ケンフィーさつまいもってそんなに繊細なんですね。
片寄 裕介(いもたろう)さんなので最初のうちは失敗もありました。開業当初は市場から仕入れて、生産者によって質が全然違うことに気づきましたね。同じ産地でも味にバラつきがあるため、自分自身ですべての農家さんに足を運び、直接、農家さんからお芋を仕入れさせていただいています。
編集長 ケンフィー産地選びが一番重要っていうことですね。
片寄 裕介(いもたろう)さんはい。産地だけでなく、育てる「ひと」も大切です。良い素材かどうかは、不思議なくらい育てる人柄にも反映されます。
編集長 ケンフィーなるほど。本日は貴重なお話をありがとうございました。
(2024年2024年3月1日(金)〜3日(日)に東静岡駅付近の会場で開催されました)